なぜかパリの空の下

国際関係の修士を取ろうと思い立ち、気が付いたらパリにいました。

一学期目を終えて。価値観をこねなおす

今は長―い冬休みの真っ只中です。

 奨学金をもらっていない身としては、学費を返せ!と叫びたくなる学期の短さとお休みの長さですね。

 とはいえ、一学期目を終えた感覚としては、短くはなかったな(どっちじゃい)と。というのも、人との出会いも含め、多くの気付きがあった濃い4カ月間で、特に、自分の価値観を0から向き合いなおす必要性に迫られたことは何よりも得難い機会だったと思います。

 

20代後半にして仕事を辞めて日本を出た大きな理由のひとつは、自分の価値観がどんどん狭く偏屈になっていくのが怖かったから。そして、新しい考え方や価値観に柔軟でありつづけるためには、なるべく早めに、できるだけ大きな衝撃を受けておくのが一番てっとり早いのでは、と思ったからでした。

 

結果的には、やっぱり出て来てよかった、と思います。授業うんぬんの前に彼らがその前提としている価値観や物事の捉え方を自分が共有していない、という壁にぶつかりました。

 

どちらの考え方がいいという話ではなく、そもそもそんな前提から違うとは思っていなかった、というのが問題でした。十代のほとんどを日本の外(中華圏)で過ごしたため、自分は「国際的な視野」をもっている(けれど、それがどんどん狭まって怖い)と思って生きてきたのですが、どうやらそうではないらしい。新しい価値観を学ぶどころか、そもそも自分の考えがどこに立っているのかがわからなくなってしまった。

 

何がどう違うかが最初はわからず、そしていまも言葉で説明するにはよくわかってはいないのですが、右か左かという次元ではなく、その軸がびみょうにずれている感覚に困惑する日々。

 

日本的な座標軸でいえば、自分はやや左寄りながらも比較的中立的な価値観を持っていると思って生きてきたのですが、本来その文脈的には共感するはずの「人権」や「人の自由な移動」も、彼らの口から説明をされると、いちいち、それは違うやろ、とツッコミたくなる。(でも基礎知識がおいついていなから、実際にツッコミをいれるほどの勇気はなく、悶々とする、ということを繰り返していました)

 

その結果、それがどこに立っているかもわからないのに、ついつい自分のもとの価値観にしがみついてしまう。欧米への留学初期によくありがちな、西洋思想に内在されるキリスト教的な普遍主義に対する条件反射的な反発、だといってしまえばそれまでなんですが、そうそう簡単に片づけてしまうとこぼれ落ちるものが多すぎるきがします。

 

反発して乱暴に投げ捨てるのではなく(それだと日本にいたときと変わらない)、その違いをきちんと理解をして、呑み込んで、自分の価値観とねり交ぜて、変わっていきたいな、と。

 

歳をとるにつれ、変わることがどんどん難しくなっていく、ものだと思います。

 

自分の頑固さに気が付いたときは、前職の秘書室新人時代にこねていた朱肉を頭に思い浮かべるようにしています。

担当していた役員は、印鑑をおすときの朱肉が、いわゆる普通の朱肉ではなく、印泥(中国産の練り朱肉)でした。これって、しばらくほっておくと、めちゃくちゃ固くなる。だから使うときには、ヘラをつかって、練り直さなくちゃいけない。

はじめはものすごく固いのだけど、しばらくねるねるしていると、どんどん柔らかくなって、まろやかにつややかになってくる。

 

今回の留学を、自分の固くなった価値観をねりなおして、こねなおして、どんな相手に対しても柔軟に、どんな変化も新しいチャレンジもやわらかに乗り越えていける機会にしたいと思います。

 

今は何が何やらわからなくて、ひっちゃかめっちゃかですが、でも、半年後くらいには、そもそもとして、まずは自分の座標軸を定め直して、もうちょっと客観視できるところに着地したいなあ。できるかなあ。(そして、できればこういうこと10代のうちにやっときたかったなあ。苦笑)

 

そして、このブログでそういった価値観の違いなんかも紹介できるようにしていきたい、と思っています。