なぜかパリの空の下

国際関係の修士を取ろうと思い立ち、気が付いたらパリにいました。

物乞いの兄弟

―幼い兄弟が物乞いをしている。兄は信号待ちの車の窓を叩き、弟は道行く人たちに手を伸ばす―

子どもの頃、そんな物乞いをする子どもの写真を社会科かなにかの教科書でみた記憶があります。確か東南アジアのどこかの写真だったかと。ストリートチルドレンといえば、いわゆる「発展途上国」「Global South」とよばれる国々が頭に浮かぶのがふつうだと思います。

でも、そんなことはない。冒頭の場面は、今朝、パリ北駅の近くを歩いていて行き当たった光景です。れっきとした先進国の首都での話です。日本でも子どもの貧困が問題になっていますが、パリも例外ではありません。移民やマイノリティ、社会階層と密接に関連した、日本以上に深刻で根の深い問題です。

お兄ちゃんは10歳くらい、弟は6歳くらいでしょうか。風貌からしてロマ族の子供のようでした。彼らは基本的には家族で路上に暮らしているので、親はちょうどどこかに行っていたのだと思います。

パリに住んで1年半、悲しいかなこんな光景にも慣れてしまったのですが、さすがに子どもだけというのは稀なので、少し気が滅入ってしまいました。

そんな気持ちも手伝って、角を曲がったところにあった、教会に入りました。

荘厳な雰囲気を漂わせる教会だったのですが、重い扉で隔たれた外と内の差は戸惑いを覚えるほどでした。内部はおそらく中世の時代からほとんど変わっていないでしょう。でも、外の環境は変わりました。北駅のある18区は、移民が多い地域です。道行く人々の肌の色は様々で、むしろいわゆる「白人(西欧人)※」的な人は少ないくらいです。

黄金にかがやく主祭壇のキリスト像と周りを取り囲むように描かれた聖人たちの壁画を眺めながら、彼らは誰に祝福を与えているんだろうと思ってしまいました。少なくとも外にいる兄弟たちは救われていない、ように思えます。

壁画のキリストや聖人たちは「白人(西欧人)」として描かれていますから、今やそこに住む人々との見た目が違います。肌の色は信仰には関係ない、という意見もあると思います。ただ、キリストはそもそも現在のパレスチナにあるベツレヘムの出身です。おそらく見た目は、壁画に描かれたような「白人(西欧人)」ではなく、どちらかというと外で物乞いをしていた兄弟と同じ少し浅黒い肌をしていたはず。描き替えたほうがいい、だなんて乱暴なことがいいたいわけではありません。ただ、不自然だよな、とは思います。皮肉だよなと思います。

でも、さらに気が滅入っただけで外にでようとした時、黒人の男性が側にいることに気が付きました。彼は白人として描かれたキリストと聖人たちをみて何を想うんだろうという私の疑問をよそに、彼は熱心に壁画をみています。勝手に嘆いて勝手に怒っていただけで、なんだか少し自分が馬鹿らしくなりました。キリストが白人として描かれていようが関係なく、彼は信じることで救われているわけですから。なんだかうまく言えないですけど「正しく」あることは必ずしも「正しい」わけではないなあと。

 

※「白人」の範囲は私たち日本人が思っている(白人=西欧人)以上に多様だということをこちらにきて知りました。そもそも現在のフランスは人種という概念を否定していますけど、例えば、中東の人で自らを「白人」と認識している人は多いです。