なぜかパリの空の下

国際関係の修士を取ろうと思い立ち、気が付いたらパリにいました。

価値観の違い

5月中旬に授業が終わり、ながいながい夏休みに入っています。

 修士1年目を終えたわけですが、クラスメートたちが、あっという間だった!という中で、わたしにとっては10年くらいの月日が経ったような、そんな感覚すらあります。

ああ、長かった。

というのも、自分の価値観をこね直す、という作業が想像以上にハードでした。留学の一つの目的でもあったので本望ではあるのですが、ここでだいぶ躓いて、途中から一歩も前に進めなくなってしまいました。

 

半年前に、「何がどう違うかが最初はわからず、そしていまも言葉で説明するにはよくわかってはいないのですが、右か左かという次元ではなく、その軸がびみょうにずれている感覚に困惑する日々。」という投稿をしているのですが、

結論としては、「ずれている」のではなく、正確には「前提がそもそも違った」ということだったんだと思います。西欧エリート的な価値観と自分自身の価値観とでは、物事をみる「土台」の部分というか、「フィルター」が違った。

 

感覚としては、「西欧の航海術を学びに来たつもりだったのに、そもそも海の認識の仕方からして違った」という感じです。

 

この、自分がこれまでどれほど表面的にしか物事を理解していなかったんだろう、という気付きは大きなショックでした。

それは「階級社会」や「強い個人を前提とした社会」に対する理解、ということに繋がるのですが、両方とも語りつくされたトピックであって、私も知識として認識はしていたにも関わらず、全く理解できていなかった、ということに気が付きました。

 

前提としている世界観が違うと、その上に積み上げられる物事の理解も随分変わってくるもののだと思います。

授業で教授が「これって実はAじゃなくて、Bなんだ!」と得意げに話し、学生たちは、ほお!って聴いているのですが、その中で私は「そもそもAだと思っとたんかーい!」と一段階手前で衝撃を受ける。仮に、彼らの思考方法を「赤」と名付け、私の思考方法を「白」と名付けた場合、教授が何かを話すにつけ、まずは、それを反射的に「白」というフィルターに通してしまうのに待ったをかけ、いったんその「白」フィルターを外し、「赤」フィルターを付け直さないと、この「実はAじゃなくてB」ということの持つ意味が全く変わってきてしまう。同じ授業を隣同士で受講していても、横の学生と全く異なった理解を持ちかえりかねない。

そしてこのフィルターの付け替えは、意識していないと忘れてしまって、というよりその付け替えの労力が半端なく、やっぱり「白」フィルターで理解してしまったことも多かったように思います。それに「赤」フィルターへの理解も足りないし、そもそも自分自身の「白」フィルター自体が日本人特有のものなのか、それとも私自身固有のものなのか、も定かではありません。

 

そして、次に、この「赤」と「白」のフィルターの差は、埋められないほど深い、という認識に至りました。

この1年間を一言で表すとするならば、昨年の8月から12月までが「困惑」だったとすると、1月から5月は、その違いの深さからくる「絶望」でした。

こんなにも土台とする部分が違うのに、これまでの私はいかに無自覚だったのか、と。そして、この土台が違うのであれば、西欧の経験は、非西欧圏で何も参考にはならないのではないか、と。私の留学の意義にも関わってくる部分であったため、これは大きなショックでした。

 

ただ、今は、この違いを、考える対象として、少しずつ前向きにとらえられるようになってきました。この問題は、考えてみれば、遠藤周作の「沈黙」の大きなテーマでもあります。また、先日、「ヨーロッパの個人主義」という本を借りて読んだのですが、そこでも著者の西尾幹二が日本人の「無自覚さ」として指摘をしていて、この本が出たのが1969年であることを考えると、なぜこの「根本的理解の不在」が何十年も放置されているのか、ということにも興味がわいてきます。

 

ヨーロッパの個人主義―人は自由という思想に耐えられるか (講談社現代新書 176)

ヨーロッパの個人主義―人は自由という思想に耐えられるか (講談社現代新書 176)

 

 

と、だいぶ話がまとまらない感じになってしまってのですが(もともと私の中で全然まとまっていない)、とりあえず今日はこの気付きの存在について述べるにとどめたいと思います。

 

こんなことはこれまで何十年と議論しつくされているはずなのですが、この夏休みを使って、私は私なりに少しずつ言語化していきたい、というのが目標です。