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なぜかパリの空の下

国際関係の修士を取ろうと思い立ち、気が付いたらパリにいました。

フランスと人種差別(1)- 「人種」というものはない

「人種」(race)というものはないんだそうです。

人間が作り上げた概念であり、生物学的に根拠のあるものではない、という意味においてなのですが、こちら(西欧のみ?フランスだけ?エリート層に限る?)では言葉自体がもはや「悪の権化」のように扱われてすらいる気がします。

ひるがえって日本では、比較的一般的に使われる言葉ですし、アメリカの選挙結果をみていても人種ごとの投票結果がでていて、興味深くみていたりするわけです。

 

よって、まさかそもそもの概念自体が「ありえない」だなんて考えてみたこともなかったのですが、こちらでは全く違う捉え方をしているようで、この認識の大きな差は、フランスに来て一番驚いたで賞にノミネートしたいくらいです。

(これって世の中的には常識?)

 

このことを痛感した出来事があります。

とあるクラスでアメリカ人学生が「東欧移民の経済的困窮の原因はracismではないか」と発言した際、クラスに漂った妙な空気と、イタリア人教授の猛烈な反論、を目の当たりにしたとき。

 

EUの「人の移動の自由」に関する授業で、8割の学生がヨーロッパ(西欧)出身、そこに数人のアメリカ人とわたしというクラス構成だったのですが、彼女の発言を受け、

 

教授は「racismという概念を使う人自体がracistだ」と言わんばかりの猛反撃。

 

クラスにも奇妙な雰囲気が漂い、 彼女は大困惑、私は何が何だかわからないけど、その場の雰囲気にぎょっとしたのでした。

 

(後日、ルクセンブルク出身のクラスメートとその時の話題になったのですが、逆に彼女は教授と同じく、アメリカ人の子がraceという言葉を使ったことにぎょっとしたと言っていました。)

 

その後、こちらでは「race」の概念が意図的に排除されていることを知り、ようやく背景を理解。ただ、この問題は非常に複雑で深い、と日々思います。

 

というのも、現に差別はあるわけです。

 

アメリカの「差別を可視化し、積極的に関わって無くしていこう」というアプローチと、「差別のもととなっている概念自体をなくすことで、差別できなくしてしまおう、という」フランスのアプローチの違いなのですが、

現在のフランスではこの「差別という概念はないという考え」と「差別はある現実」との差が広がってきてしまっている感じがします。

 

(このフランス24の動画(英語)でも非常にわかりやすく説明がされています。)

 

《Population studies: France's 'ethnicity' taboo》

http://www.france24.com/en/20170112-france-population-statistics-demography-race-ethnicity-religion-racism-discrimination-data

 

ちなみに、どちらのアプローチがいいかは、本当に難しいなと思います。例えば、日本においても、同和問題に関して、被差別部落の人たちを可視化して積極的に支援を行っていくのか、そもそもどこが被差別部落だったかをみんなが忘れてしまえば差別のしようがない(特にraceと違って見た目上は何もわからない)ので、何もしない、のどちらがいいのかは、本当に難しい、と思います。

 

植民地支配は「人道に対する罪」か

スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』を観に行ってきました。

物足りなかった、というのが感想で、遠藤周作の原作に忠実であろうとするあまり、原作の深みが描き切れていないように感じました。

もしくはアメリカ人のスコセッシには理解しきれない部分があったのか、そもそも映像という表現手段の限界か。。監督の並々ならぬ意欲は伝わってきただけに、少し残念でした。

 

映画はフランス人の友達と観に行ったのですが、彼女の感想が

 

「そもそもキリスト教を布教しにいって、

ほかの国の人に押し付けるのが間違っている」

 

というもので、とても興味深いな、と。

世俗化しているとはいえ、かつてバチカンの長女と呼ばれたフランス。

 

話を聞くと、植民地支配(とキリスト教の布教)については学校で徹底的に批判的に学んだ、ということでした。この過去の植民地に関しては、学術的にも、批判的な論調はある種の前提条件になっている、とさえ感じることもあるのですが、

 

ただ、社会全般としては、そうでもない、

 (エリート層と社会一般の感覚は大分違う)

 

ということが浮き彫りになった出来事が、フランスで大きな話題となっています。

 

ことの発端は、大統領候補のエマニュエル・マクロン(右派のフィヨンのスキャンダルで、もはや本命候補)が、訪問先のアルジェリアで、植民地支配を「人道に対する罪」、と表現したことです。

 

これに、保守派と極右が猛反発。最終的には、マクロンが(アルジェリア独立に際して、フランスに帰国した人々に向けて)謝罪をする、という騒動になりました。

植民地支配が国際法上の「人道に対する罪」に当たるかどうか、は専門的な話になるのですが(※)、騒動がここまで大きくなったのは、

 

長年にわたる 

「植民地支配に対する反省」と「植民地支配におけるフランスの功績」

のどちらにどれほどの重きをおくか、という問題が背景にあります。

 

France24でも、植民地支配を反省し「歴史」の一部にすることができたドイツと違い、フランスは、なぜいまだにこの問題で揺れ続けるのか、という報道がなされていました。(ドイツの例が引き合いに出されることや、感情的になってしまう、というあたり、日本の歴史問題、が思い出されます)

 

《Why colonization remains a political football in France》

http://www.france24.com/en/20170217-french-colonisation-still-political-football-emmanuel-macron-france-elections

 

過去には2005年、右派のシラク政権時(保革連立政権解消後の2期目在任中)、学校で「植民地支配の肯定的役割」について必ず教えるべし、という条項が含まれた法律が可決された(反対運動を受け、その部分のみ廃止)こともあったようです。

 

ただ、部分的に謝罪することになったとはいえ、大統領候補の本命からこのような問題が提起されたことは非常に健全なことだと感じました。

 

 

とはいえ、何をもって反省し、乗り越えたと言えるのか、はとても難しい問題だなあ、と感じる今日この頃。

例えば、非西欧諸国から批判のある、「人権」や「民主主義」が新たな「キリスト教」として、西欧の「干渉」という名の「支配」の口実となっている、という指摘は、本質をついているとは思います。そういう意味では本当に反省しているのか、と。

(ただ、じゃあ「人権」や「民主主義」を否定するというわけではなく、それはまた別の話です)

  

*上記の指摘をしている本

ヨーロッパ的普遍主義

ヨーロッパ的普遍主義

 

 

「国際関係における人権」という授業を取っているのですが、

「EUの人権外交」はどうあるべきか、「対外的に民主主義と人権をどう促進していくか」、なんて話を聞いていると、

 

400年前、ポルトガルの神学校に学んだ、『沈黙』のロドリゴのような宣教師たちは、こんな感じだったのかなあ、なんてことを思わずにはいられないのです。

 

目の前のクラスメートたちの姿に、石造りの教会で神父の話を聞いていたであろう宣教師たちの姿が重なってみえるようです。

 

※国際刑事法の教授曰く、植民地支配が「人道に対する罪」とされたことは過去一度だけあるとのこと。ベルギーのレオポルド2世によるコンゴ支配に関して、アイルランドの人権活動家・(イギリスの)外交官であったロジャー・ケースメントが「人道に対する罪」として批判をしたとのこと(ただ根拠となる文献はみつけられず)です。

 

 

遠藤周作「沈黙」- 弱き者はどう生きていけばいいのか

スコセッシ監督の新作を観る前に、遠藤周作の原作を読みました。

ぜひたくさんの人に読んでほしい。

50年前の作品ですが、投げかけられた問いは本質的で、故に非常に現代的です。

 

織り込まれたいくつものテーマの中でも「弱き者はどう生きればいいのか」という問いが特に胸に響きました。

 

小説では、どうしようもなく弱く、ずるいキチジローの姿を通してこのテーマは語られるのですが、

このキチジローが度々口にするのが、心が弱き者はどう信仰を持ったらいいのか(信仰をもちつづけることはかなうのか)、という言葉です。

 

個人的には、キチジローは決して心が弱いわけではない、と思うので、

 

「立場の弱き者は信念を持って生きていくことさえ許されないのか」

 

という、問いとして解釈しました。

 

信念とまで言わずとも、人は誰でも正しいと思うこと、間違っていると思うことを心に持っているものだと思います。価値観、といってもいいかもしれない。

 

自分自身が世の中のルールを作る側にいない時(弱き者であるとき)、自分の価値観をどうもちながら生きていくべきなのか

 

個人レベルでは自分自身の会社や社会、国とのかかわりに関する問いであり、今、勉強をしている国際関係の文脈の中では、いわゆる「弱き国」の人間はその価値観さえ持ち続けることはできないのか、そんな問いとしても読みました。

 

フランスで勉強をする中で

 

「ああ日本は戦争に負けたのだなあ」

 

と感じることが時々あります。

戦後70年以上もたって、何を言っているんだ、と自分でも思うのですが、

授業を通して、戦勝国の側からの世界のあり方に触れるとき、心からしみじみとそう思うのです。

 

ものの捉え方も、思考方法もこうも違うものか、と思うときに、世界のルールをつくる側にならなかった身としては、やはり彼らのルールの中で生きていく必要がある、そう痛感します。

 

この文脈で考えると、作品の中の「踏み絵を踏む」という行為は、「相手の社会のルールや価値観を受け入れる」という行為の象徴になります。

 

踏み絵を踏まなくてはいけない時(他者のルールや価値観の中で生きていかざるをえない時)、これまでの自分の信仰(信念や価値観)というものはどうもち続ければいいのか。

 

ほんとうは、私の感じるこの価値観の違いはささいな、小さな差に過ぎないのかもしれません。

ただ、80年代に生まれ、世界はより均一になり、繋がっていく、先進諸国の同世代とは、同じような価値観で生きていると思って生きてしまった身には、このそもそもの土台の、微妙な、でもおそらくとても根本的な違いは、えらく衝撃的で、

 

だからこそ、この遠藤周作の問いは、とても深く心に響きました。

 

問いの答えはよくわかりません。それに、この問いをどう解釈し、どういう答えをだすかは、読む人にとっても、読むタイミングによっても違ってくると思います。

 

最後に、この作品がより奥深いのは、弱き者は強き者でもある、という部分です。

主人公である宣教師ロドリゴは、強き者でありながら、弱き者でもあります。キチジローも、ロドリゴの心の弱さを映す鏡のような存在として書かれているのですが、同時に、キチジローはとても強い心の持ち主でもあります。

 

遠藤周作は、講演でキチジローは作家自身だ、と述べていますが、

すべての人がキチジローである、ということなのだと思います。

 

*講演は以下のリンクの「没後20年企画[講演]ある小説が出来上がるまでーー『沈黙』から『侍』へ」で読むことができます。

www.shinchosha.co.jp

フランス的な習いごと、ってなんだろう。

パリに来てもうすぐ半年。目下の目標は、同年代の友人をつくることです。

 

勉強しにきたんじゃないのかよ、と自らにツッコミつつも、

働く同年代のパリジェンヌたちが何を考えて、何に悩み生きているのか、知りたい。退職をして日本の外に出たことで、自ら日本社会の「レール」を外れたわけですが、『「30代を目前に感じる社会的なプレッシャー」を感じる自分』から抜けだせない。もはや何からもプレッシャー受けていないのに。。

 

なんでパリに来てまで自らを縛っているのじゃー。

(最大の敵は自分だった、わけです、うん。)

 

と、前置きが長くなりましたが、いずれにせよ、パリジェンヌたちもそういった悩みをもっているのかどうか(同級生たちはみんな優秀で話をしていて楽しくて大好きなのですが、20代前半ということもあり、まだ人生輝いています)知りたい、それにもう少し社会との接点もほしい、ということで、何か習い事をしよう、と思い立ちました。

 

というのも、フランス語がまだ初心者レベルということもあり、何かを一緒にしたりだとか、体験を共有するという方法が、友人をつくる方法としててっとりばやいのではないかと思ったわけです(バーで同年代の人に話しかけてもいいのですが、できればちゃんと話が合う人に出会いたいかなと)。かつ、せっかく何か習うのであれば、フランスだからこそできることを習得したい、その過程でフランスらしさが理解できることがしたい。日本にいる頃は日本舞踊を習っていたのですが、日舞を通して学んだことは多く、特にもののみかたが変わったことがとても大きかった。フランスでもそういうことがしたい、と思ったのですが、

 

はて、

 

フランスの伝統的なものってなんだ?

 

と一瞬にして壁にぶつかりました。

フランスは伝統を愛する国!というイメージが強かったのですが、何か習いごととして、と思うと思い当たるものがありません。よくワイン教室やチーズ教室はあるのですが、、「習得する」ものとは少し違いそうです。あとはフラワーアレンジメントやパン作りでしょうか。だけど、それは日本でもできる気がする。。

 

ということで、フランス人の友人たち5人(20代前半)に尋ねてみました。

 

「何かすごくフランス的なことをやりたい」(現在のフランス語レベルの限界)

 

すると、皆、うーんと考え込み、最初に出た答えが

 

「デモに行けばいいと思う」

 

確かにそれはすごくフランス的ですわ。ぜひやろう。

 

でも、、それは習い事ではない。

はたまた彼らが考えこんで出した答えは、

 

「ぼくたちは色々な文化がまざりあっているから、これといったものはないんだよ」

 

でした。これにはとても考えさせられました。自分の中で落ち着いた説明としては、彼らはすでに伝統的なものを生きている(19世紀の建物に住み、ワインを飲み、チーズを食べ、フランス映画をみている)から、わざわざ別に「伝統的なもの」を習う必要はない、「生活=伝統」ということなのではないか。これは色んな人の意見を聞いてみたのですが、例えば、日本で着付けを習うのは、もはや今着ている服が洋服であって、和服ではないからで、日舞も、いわゆる現代的な踊りではないわけです。でも、彼らにとっては、現代は「伝統」の延長線であるからこそ、わざわざ習うものではない、のではないか。「伝統」に対する概念が違う(のではないか)ということに気が付き、目から鱗でした。

 

ただ、それだと習い事ができないので、なおも食い下がると、スポーツではいくつか案が。

 

「フェンシング」か「フレンチボクシング」

 

ちなみにフレンチボクシングは通常のボクシングと違って足も使うそうです。キックボクシングということですね。ちょっとハードすぎ。。。

 

ということで、最後の案として「ペタンク」。

 

これは日本のゲートボール的存在で、おじいさんたちが公園でやっています。ルールははたからみているとカーリングに近いのかな、と思うのですが、鉛のボール的なものを順番に投げて、中心からの近さを競うような(公園で眺めた結果の推測)スポーツです。

 

確かにこれはフランスでしかできん!しかも簡単そう!

 

でも、よく考えたら、当初の目的は「同年代の友人」をつくることでした。

ペタンクやっているの、おじいさんかおじさんくらいしか見たことがない。

 

無念。。。

 

結局答えはでず、リサーチ継続中です。

バーに入って声をかけたほうが早いか。。

 

 

移民の歴史、歴史は繰り返す。

先日我が家(屋根裏部屋)についてのブログを書いていた際、ふと、移民の歴史について知りたくなり、思い立ったが吉日、12区にあるその名も、移民歴史館、に行ってきました。 

hitomi-at-paris.hatenablog.com

 

MUSÉE DE L'HISTOIRE DE L'IMMIGRATION

http://www.histoire-immigration.fr/

 

 もともと国立アフリカ・オセアニア館(ケ・ブランリ美術館の前身)として使われていた建物が2007年移民歴史館として生まれ変わったもので、19世紀以降の移民の歴史を紹介しています。

 

いつ頃どのような人がやってきた、という事実だけでなく、移民たちが携えてきた文化を視覚的、そしてアートを通して紹介することで、「彼らを彼らの文化ごとのみこんできた」歴史と国のあり方をつづることに主眼がおかれています。それぞれの国からの移民が、スーツケースに何をいれて持ってきたか、という展示がなかなかに面白かったのですが、楽器だとかお茶入れセットだとか、それぞれの民族に欠かせないものを抱えてみなフランスを目指したのです。私も日舞の扇子やら、干支の置物やらを持ってきているので、昔も今も変わりません。

 

 歴史は繰り返す

興味深かったことは、この国は、移民を受け入れては拒絶反応がでて、また移民を受け入れては拒絶反応がでて、ということを想像以上に何度も繰り返している、ということです。

昨今のアフリカ・中東からの移民が大きなニュースになり、EUの根幹を脅かす問題になっていますが、移民、そしてそこに伴う反移民感情は最近始まったものでもなんでもない、ということがよくわかります。

 

19世紀後半、第一の波は産業革命によって起こった労働力不足を担うためにやってきたヨーロッパ内からの若い男性の移民です。一時期までベルギー人が多かったようなのですが、この大量のベルギー人の流入は反ベルギー感情をもたらします。(ベルギー人の労働者がフランス人家族に拒まれている風の絵が展示されていました、ベルギー人がフランスで拒絶されるだなんて、移民の多様性がさらに広がっている今となれば信じられない気がしますよね。)

 

EU内の人の移動、という観点ではよく南→北(戦後のスペイン・イタリア等の南欧諸国からの移民の波)から東→西へ(旧ソ連崩壊後の東欧諸国からの移民の波)という枠組みが提示されますが、これもごく最近のことだということです。

ベルギー人と同じ時期にはポーランド人やユダヤ系ロシア人、20世紀以降はイタリア人、アルメニア人、スペイン人、ロシア人、ポルトガル人、再度のイタリア人、再度のスペイン人、ラテンアメリカ諸国、東南アジア諸国、トルコ人、アフリカ諸国、、、と続きます。

 

そしてそのたびに、もといた人々の中に反発が生まれる、ということが繰り返される。そして毎回、乗り越えてきている、という事実に、今回の移民問題もまた乗り越えていくんじゃないか、という楽観的な見方と、

 

果たしてそもそもこれまで乗り越えてきたといえるのか、という懐疑的な見方が入り混じります。

 

同時に、さらに興味深いのは、各民族の独自性を尊重する多文化主義をとるアメリカとは違い、フランスは各民族の独自性は排除し、「共和国理念」・「フランス語」・「ライシテ」の名の下に同化主義をとっている、という側面もあることです。この原則から考えると、その出自や文化の多様性に着眼をした移民歴史館は異色の存在なのかもしれません。

 

※フランスの「普遍主義的同化原理」とアメリカの「差異主義的共同原理」については、以下の本に詳しいです。これまでの人生をアジアについやしてきた身としては、フランスを理解する上で大変勉強になりました。書かれたのは2002年と少し古いですが、本質的な問題は変わっていないと思います。 

 

現代フランスを読む―共和国・多文化主義・クレオール

現代フランスを読む―共和国・多文化主義・クレオール

 

 

ちなみに歴史館は、常設展にも関わらず、主に「受け入れる側」の人々でとてもにぎわっていました。同期間に、アニエスベーの現代アートコレクション展が企画されていたこともあるでしょうが、「世界の移民について」の解説に多くの人が熱心に耳を傾け、積極的に質問をする様子からは、フランス人たちの移民問題への大きな関心がうかがえました。

 

ただ、同時に、「なぜ移民せざるを得なかったか」という、もう一歩深い考察に至らないこと(もちろん経済的困窮や政治的迫害を逃れて、との記載はありながらも、ではなぜその状態に陥ったのかという部分が抜けているのです)にはやはり、どうしても、少し批判的な気持ちになってしまいます。

歴史館の建物は、国立アフリカ・オセアニア館になる前、もともとは1931年の国際植民地展覧会のために建てられたそうで、中央にある数フロアにわたる巨大な壁画には、いかに「フランス人がアフリカ・オセアニアの未開の人々を導いてあげたか」が壮大に描かれています。

 

「人々の多様性を認める」歴史館が、「偉大なフランスがその人々を野蛮とみなし、どう啓蒙してきたか」を誇示する建物にあるという皮肉に、そしてそれを皮肉だと感じないであろう大多数の来場者たちに、複雑な想いを抱えながら歴史館を後にしました。

 

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パリのオープンカフェ。テラス席に逆風? 規制強化と増税。

パリといえば、歩道にはみだしたカフェでパリジェンヌたちがおしゃべりをしている、そんなにぎやかなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

 

実際にパリにきてみても、やはりカフェのある街並みはにぎやかで華やか。

 

加えて、パリ市民のテラス席への情熱は尋常でなく、

いくら寒くてもテラス席に座りたい。

 

カフェのおじさんも、どれだけ屋内がガラガラであろうと、「お、君、ラッキーだな、テラス席があと1席残っているよ!さあ座りな!」と有無をいわせずテラス席をあてがってくる。テラス席<屋内という考えは毛頭ない様子。

冬になるとそのままガラスやビニールシートの囲いができて、ヒーターであたためてまでテラス席は存続します。パリ市民のテラス愛おそるべし。

 

そして、翻って日本でも、国交省がにぎわい創出のために道路占有許可の特例制度をつくっていたり(2011年の都市再生特別措置法の一部改正)、それを受けて東京都でも「東京シャンゼリゼプロジェクト」が2014年から施行されていたり。その結果、一定の条件を満たせばオープンカフェが設置できるようになって、例えば港区の新虎通りなんかでお目見えしています。これらが、パリのにぎわいを念頭においていることは想像に難くありません。(なんていったって、ネーミングからして「シャンゼリゼ」ですしね)

 

ということで、世の流れは

 

目指せ、パリ!どんどん歩道にしみだして、にぎやかにしていこう!!

 

というふうに理解をしていました。

 

が、ところがどっこい、

当のパリでは、テラス席に対する規制強化と増税という、むしろ逆風がふいているようなのです。

 

構図としてはパリ市vs街中のカフェやレストラン。パリ市はテラス席がパリのイメージ向上に寄与していることは重々承知していて、そして市職員たちも日々テラス席は愛用しているでしょうから、撤廃しようなんてことはもちろん考えていない。

 

ただ、テラス席のしみだしっぷりが度を越しているという現状と、おいしい財源として味をしめているということのようです。

 

事の発端は、2011年のオープンテラスに関する条例の改正で、趣旨としては

・冬場出現する、見てくれの悪いビニールシートの囲いを禁止(近隣住民の騒音被害対策もあり、一部地域でしか許されていなかったガラスの囲い禁止を撤廃)

・快適な公共空間の創出のために現行の1.6mルールを徹底すること(0.6mのテラス席スペースと1.6mの歩行者スペースを確保することが必須)

・環境問題となっていた、これまた冬場のガスヒーターの利用禁止(電気ヒーターへの変更)

・そして、財源の確保

ということだったようです。ただ、このしみだし過ぎないというルールはその後もあまり守られず、ル・パリジャン(ル・モンドなどの高級紙と比べると大衆向けですが、名前の通りパリと近郊の情報が豊富な新聞)の昨夏(9月9日付)の記事では、パリ市の報告書を引用する形で、しみだしたいカフェ側ときっちり取り締まりたい市側の攻防を紹介しています。さらに、2017年にはテラス席設置にかかる税金が2%上がることが決まっているそうです。

 

Le Parisien 2016年9月9日付

《Paris : les terrasses des cafés dépassent les bornes》

http://www.leparisien.fr/paris-75005/paris-les-terrasses-des-cafes-depassent-les-bornes-08-09-2016-6105057.php

 

たしかに、そこもう歩道ですらなく道路じゃない?というところまで出てきちゃってるテラス席、よく見かけますものね。。

 

ただ、カフェ側からしたら商売あがったりだ、と不満が募っており、更なる増税に溝は深まるばかり。

昨日(1月10日付)の同じくル・パリジャンには「Les terrasses croulent sous les taxes」 (「テラス席は税金の前に崩れ去る」という感じでしょうか…?フランス語ってむずかしい…)という見出しで、市は財源がほしいだけ、というカフェ側からの反論が紹介されていました。

 

Le Parisien 2017年1月10日付

《Paris : les terrasses croulent sous les taxes》

http://www.leparisien.fr/paris-75005/les-terrasses-parisiennes-croulent-sous-les-taxes-09-01-2017-6544854.php

 

現に市内2万か所以上のテラス席から年間5000万ユーロ(60億円!?)に近い税収入を得ているそうなので(条例改正前の2010年度は3000万ユーロ)、それは手放したくないでしょうし、今回の更なる増税は、ルール順守のインセンティブになるという反面、もちろん税収入UPも喜ばしいに違いありません。

 

ちなみに、パリ市HPのシミュレーションでは、1m×1mのテラススペースは年間で€1500(20万円弱)近くかかるとのこと。加えて暖房機器や囲いも別途課税対象となっていて、結構お金がかかるんですね。

 

要はやりすぎはいけない、ということなんでしょうが、はて、この攻防どうなることやら、テラス席は逆風にめげず、今後とも歩道にしみだしつづけるのか、引き続き注目していきたいと思います。

 

屋根裏部屋ぐらし。パリの歴史を暮らす

Chambre de bonneといういわゆる屋根裏部屋に住んでいます。

 

これがなかなかに悪名高く、狭い・時にはエレベーターなし・水回りが貧弱、という三拍子そろって、学生の中でも敬遠されがち。

 

我が家も例外でなく、11㎡・7階(日本式8階)エレベーター無し・洗濯機なしというTHE屋根裏部屋!という物件で、遊びにくる友人からは驚愕されるのですが、

 

住んでみた感想としては、とても満足。

 

東京生活でどうしても成し遂げられなかったミニマリストな生活を実現できている(せざるをえない)ことも理由の一つですが、パリに生きた人々の人生を感じることができるという、得難い経験をしています。

 

そもそもこれらの屋根裏部屋は、19世紀半ば~のパリ改造によってできたオスマン様式のアパルトマン最上階のことを指します。(我が家も築105年です)

 

当時は階数が上がるほど水回りが貧弱になり、かといって1階は道路の騒音が気になる、ということで2階が一番いい階数だったそう。(景色がいい最上階が最高値という日本の今のマンション事情の常識は、常に当たり前だったわけではないわけです)

そして、条件の一番悪い最上階は、階下の部屋の家事手伝いの女中さんたちが住む部屋でした。多くの場合が10㎡前後の一間で、トイレ・シャワーは共同、通常の住民が使う赤絨毯がひかれた階段とは別の、狭い階段を使って上ります。物件によるでしょうが、我が家の場合は、同じフロアには15戸ほど同じような部屋が並んでいます。女中の需要がなくなった後は、移民や学生達が住むようになりました。

 

例えば1950年代には経済的な理由から、多くのスペイン人女性がパリに出稼ぎに来ていました。彼女たちが、まさに私が今住んでいる部屋に住んでいたかもしれない、わけです。

 

出稼ぎや移民の出身国は年代によって波があるので、1950年代のスペイン人以外にも、100年前にはフランスの地方からでてきたうら若き乙女だったかもしれないし、ポーランド人やアルメニア人、イタリア人だったかもしれない。1960年代以降は南米からの移民も多かったそうですから、ペルー人だったかも、また最近ではアルジェリア人やモロッコ人だったかもしれません。

 

自由・平等・博愛を歌い上げながらも、フランス社会が平等でないのは誰の目にも明らか。最下層としてフランスの階級社会に飛び込んだ彼女たち彼らが、何を思い、何に涙し、何を楽しみ生きていたのか。夜な夜な論文を書き、同じ景色をみながらそんなことを思うとき、きらびやかなだけではないパリの歴史に織り込まれていくような、そんな気持ちになるのです。

 

 

*ただ、パリに10万件以上あるといれるこの屋根裏部屋、長年衛生上の観点から問題視されており、そこに近年の住宅不足も相まって、パリ市は2020年までに全戸の撤廃(ロフトとしてリノベーションを推奨、現に向かいの家はリノベーション済)を目指すという方針だそう。

個人的には、(最下層の人向けの住居という)セーフティネットの役割を果たしていると感じているので、そのあたりに関してはどういう対策が別途とられるのか、気になるところです。

 

*「パリの日本人」(鹿島茂著、新潮選書)の中で、東久邇稔彦がパリ留学を振り返った手記が紹介されています。東久邇稔彦の渡仏は1920年から7年間だそうなので、90年前の宮様、そして後の首相が同じものをみていたのかと思うと、ちょっとした感動を覚えます。

「普通の家でも使用人と主人とは出入口が違ふ。主人は表玄関から出入りするけれども、使用人は横か裏の小さな出入口を使ふことになつてゐた。住むのも同じ家に住まずに屋根裏へ住んでゐる。私が日本で考えてゐたやうな民主的フランスではなく、あまりに階級的な差がひどいので、ちょつと異様に感じた位であつた。」(「パリの日本人」、103ページ)

 

新潮選書 パリの日本人

新潮選書 パリの日本人