なぜかパリの空の下

国際関係の修士を取ろうと思い立ち、気が付いたらパリにいました。

物乞いの兄弟

―幼い兄弟が物乞いをしている。兄は信号待ちの車の窓を叩き、弟は道行く人たちに手を伸ばす―

子どもの頃、そんな物乞いをする子どもの写真を社会科かなにかの教科書でみた記憶があります。確か東南アジアのどこかの写真だったかと。ストリートチルドレンといえば、いわゆる「発展途上国」「Global South」とよばれる国々が頭に浮かぶのがふつうだと思います。

でも、そんなことはない。冒頭の場面は、今朝、パリ北駅の近くを歩いていて行き当たった光景です。れっきとした先進国の首都での話です。日本でも子どもの貧困が問題になっていますが、パリも例外ではありません。移民やマイノリティ、社会階層と密接に関連した、日本以上に深刻で根の深い問題です。

お兄ちゃんは10歳くらい、弟は6歳くらいでしょうか。風貌からしてロマ族の子供のようでした。彼らは基本的には家族で路上に暮らしているので、親はちょうどどこかに行っていたのだと思います。

パリに住んで1年半、悲しいかなこんな光景にも慣れてしまったのですが、さすがに子どもだけというのは稀なので、少し気が滅入ってしまいました。

そんな気持ちも手伝って、角を曲がったところにあった、教会に入りました。

荘厳な雰囲気を漂わせる教会だったのですが、重い扉で隔たれた外と内の差は戸惑いを覚えるほどでした。内部はおそらく中世の時代からほとんど変わっていないでしょう。でも、外の環境は変わりました。北駅のある18区は、移民が多い地域です。道行く人々の肌の色は様々で、むしろいわゆる「白人(西欧人)※」的な人は少ないくらいです。

黄金にかがやく主祭壇のキリスト像と周りを取り囲むように描かれた聖人たちの壁画を眺めながら、彼らは誰に祝福を与えているんだろうと思ってしまいました。少なくとも外にいる兄弟たちは救われていない、ように思えます。

壁画のキリストや聖人たちは「白人(西欧人)」として描かれていますから、今やそこに住む人々との見た目が違います。肌の色は信仰には関係ない、という意見もあると思います。ただ、キリストはそもそも現在のパレスチナにあるベツレヘムの出身です。おそらく見た目は、壁画に描かれたような「白人(西欧人)」ではなく、どちらかというと外で物乞いをしていた兄弟と同じ少し浅黒い肌をしていたはず。描き替えたほうがいい、だなんて乱暴なことがいいたいわけではありません。ただ、不自然だよな、とは思います。皮肉だよなと思います。

でも、さらに気が滅入っただけで外にでようとした時、黒人の男性が側にいることに気が付きました。彼は白人として描かれたキリストと聖人たちをみて何を想うんだろうという私の疑問をよそに、彼は熱心に壁画をみています。勝手に嘆いて勝手に怒っていただけで、なんだか少し自分が馬鹿らしくなりました。キリストが白人として描かれていようが関係なく、彼は信じることで救われているわけですから。なんだかうまく言えないですけど「正しく」あることは必ずしも「正しい」わけではないなあと。

 

※「白人」の範囲は私たち日本人が思っている(白人=西欧人)以上に多様だということをこちらにきて知りました。そもそも現在のフランスは人種という概念を否定していますけど、例えば、中東の人で自らを「白人」と認識している人は多いです。

ブリュッセル – EUの光と影

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ルネ・マグリット「光の帝国」(マグリット美術館HPより)

ブリュッセルといえば、ヴィクトル・ユーゴをして世界一美しい広場と言わしめたグランプラス、ビールにフライドポテト、チョコレートにワッフル。きらびやかなイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

秋学期は、縁がありベルギーのブリュッセルでインターンをしていました。私自身、冒頭のイメージを胸にワクワクして引っ越したのですが、そんな想いはあっという間にブリュッセルの霧の彼方。どう間違ってもそんなキラキラした可愛らしいトコロではありませんでした。光があるところには、影がある。きらびやかな観光地を一歩出たところに広がるのは、ブリュッセルの別の顔。EUの光、そして影でした。

ブリュッセルの別の顔、光

ブリュッセルはEUの(実質的)首都です。観光でくるとあまり気が付かないのですが、観光エリアを一歩出て東側にいくと、ヨーロッパエリア(Quartier européen)という地区が広がっています。グランプラスから直線距離でわずか数キロ。徒歩15分。EUの主要機関である、欧州議会、欧州委員会(通称ベルレモン)、欧州連合理事会、とその関連オフィスが集中しています。近隣の住宅地も、EUの職員が多く住んでおり、ヨーロッパ中から欧州エリートが集まっているエリアといっても過言ではありません。ブリュッセルの公用語はフランス語とオランダ語ですが、このエリアでは英語が聞こえる頻度が圧倒的に高いことに気が付きます。

また、近隣にはEUに対するロビー活動を行う業界団体やNPOがたくさん集まっているのも大きな特徴です。私が働いていた団体もその一つで、欧州における人種差別のリサーチ・政策提言をEUに対しておこなっていました。こういった団体は、各加盟国における業界もしくは市民団体の声をEU政治に反映する、という橋渡し的な役割を担っています。

そして、彼ら、EUで働く職員、政治家、各団体のメンバーの多くは、欧州連合という夢を信じる「恵まれた」人々である、というのが正直な感想です。それぞれの国で一握りのエリート達が、それぞれキャリアを邁進しにブリュッセルに集まってきている。この辺りは家賃も高いですし、ランチの値段も高い。毎朝このヨーロッパエリアのど真ん中を自転車で爆走して通勤していたのですが、道行く人たちの身なりや立ち振る舞いは、金銭的にも精神的にも豊かな人のものでした。

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ヨーロッパエリアにある”THE FUTURE IS EUROPE”と描かれた30m×20mの巨大ウォールアート。EUの光輝く理想を象徴するようです。 

ブリュッセルの別の顔、影

しかし、これまた観光でくるとわからないのですが、そのヨーロッパ地区の真横には、通称Matonge(マトンゲ)と呼ばれるエリアがあります。ルイーズ・ワーテルロー大通り(ルイ・ヴィトンやアップルストアが並ぶ、いわゆる銀座の表通り的な通り)とヨーロッパ地区に直角に挟まれた0.6km×1kmほどのエリアなのですが、初めて一歩足を踏み入れた時、はたしてどこに来てしまったかと驚きました。道行く人はすべてアフリカ系、アフリカ系床屋に、アフリカ系スーパーマーケット。お店の看板もまったく読めません。ベルギー(レオポルド2世)の植民地統治はその非道さで悪名高いのですが、このマトンゲは植民地だったコンゴからの留学生が移住してきたことから始まったエリアです。(ちなみに、マトンゲというのも、コンゴの首都キンシャサにある地区の名前から来ています。)

ブリュッセルにはこの他にも、トルコ系地区(特にSchaarbeekスカラベーグのChausée de Haechtアウシュト通りはもはやトルコのようで、モスクもあり、もちろんここも看板はトルコ語で書かれているので読めません)やパリ同時多発テロ(2015年)の犯人の出身地として有名になったMolenbeek(モレンベーク、ここはもう少し新しいイスラム系移民が多いです)が存在します。

彼らは、古くは戦後の契約労働者として(ベルギーは、第2次世界大戦後、モロッコ・トルコを含む6か国と二国間協定を結び、戦後の復興の人手不足をおぎなうため多くの単純労働者を受け入れました)、または近年のアジア・中東における紛争を逃れて、やってきた人々です。安全やより良い生活を求めて、もしくはせめて子供達には同じ思いを味わわせたくない、という希望をもってやってきた人たちです。

そして、彼らの多くが差別や経済格差に苦しんでいるのがブリュッセルの偽らざる現状です。例えば、昨年末発表されたある調査では、アフリカ系住民のうち、60%が高等教育を修了している(ベルギー平均より高い)にも関わらず、失業率がベルギー平均の4倍にものぼる、という結果が出ています。あるいは、モレンベークやスカラベークの若年層失業率は20~30%で、中にはイスラム過激派に希望を見出す若者もおり、その結果、これまでシリアに渡ったイスラム過激派の対人口比率はベルギーが西洋諸国で最も(抜きんでて)高いといわれています。 

光と影が同居する街、ブリュッセル

ブリュッセルが街として興味深いのは、新しい住民や移民の多くが街の中心部に住んでいるということです。(例えばパリはこの逆で、バンリューと呼ばれる郊外に多く移民が住んでいます。)裕福なベルギー人は中心部から離れたエリアに住んでいることも多いため、結果、観光地をのぞいた中心部には、ヨーロッパエリアと移民エリアが肩を寄せ合って存在することに。そして、このエリア間の行き来は驚くほどなく、一本道を渡ると、歩いている人がガラッと変わるさまは、驚きを通り越して衝撃的です。

EUが抱える問題の一つは間違いなく移民問題であり、その社会構造が抱える差別や経済格差です。その問題が顕著なエリアに隣接しながらも、その目の前の格差には目もくれず、政治ゲームや自らのキャリアを邁進するエリートたちを見るにつれ、EUの矛盾が溢れ出ているようにみえてなりませんでした。

ベルギー出身の画家ルネ・マグリットには「光の帝国」という作品があります。昼と夜が同居する不思議な絵ですが、EUの光(昼)と影(夜)が交わることなく同居するブリュッセルは、まさにこの絵のようです。

 

(参考記事)

www.rtbf.be

www.washingtonpost.com

価値観の違い

5月中旬に授業が終わり、ながいながい夏休みに入っています。

 修士1年目を終えたわけですが、クラスメートたちが、あっという間だった!という中で、わたしにとっては10年くらいの月日が経ったような、そんな感覚すらあります。

ああ、長かった。

というのも、自分の価値観をこね直す、という作業が想像以上にハードでした。留学の一つの目的でもあったので本望ではあるのですが、ここでだいぶ躓いて、途中から一歩も前に進めなくなってしまいました。

 

半年前に、「何がどう違うかが最初はわからず、そしていまも言葉で説明するにはよくわかってはいないのですが、右か左かという次元ではなく、その軸がびみょうにずれている感覚に困惑する日々。」という投稿をしているのですが、

結論としては、「ずれている」のではなく、正確には「前提がそもそも違った」ということだったんだと思います。西欧エリート的な価値観と自分自身の価値観とでは、物事をみる「土台」の部分というか、「フィルター」が違った。

 

感覚としては、「西欧の航海術を学びに来たつもりだったのに、そもそも海の認識の仕方からして違った」という感じです。

 

この、自分がこれまでどれほど表面的にしか物事を理解していなかったんだろう、という気付きは大きなショックでした。

それは「階級社会」や「強い個人を前提とした社会」に対する理解、ということに繋がるのですが、両方とも語りつくされたトピックであって、私も知識として認識はしていたにも関わらず、全く理解できていなかった、ということに気が付きました。

 

前提としている世界観が違うと、その上に積み上げられる物事の理解も随分変わってくるもののだと思います。

授業で教授が「これって実はAじゃなくて、Bなんだ!」と得意げに話し、学生たちは、ほお!って聴いているのですが、その中で私は「そもそもAだと思っとたんかーい!」と一段階手前で衝撃を受ける。仮に、彼らの思考方法を「赤」と名付け、私の思考方法を「白」と名付けた場合、教授が何かを話すにつけ、まずは、それを反射的に「白」というフィルターに通してしまうのに待ったをかけ、いったんその「白」フィルターを外し、「赤」フィルターを付け直さないと、この「実はAじゃなくてB」ということの持つ意味が全く変わってきてしまう。同じ授業を隣同士で受講していても、横の学生と全く異なった理解を持ちかえりかねない。

そしてこのフィルターの付け替えは、意識していないと忘れてしまって、というよりその付け替えの労力が半端なく、やっぱり「白」フィルターで理解してしまったことも多かったように思います。それに「赤」フィルターへの理解も足りないし、そもそも自分自身の「白」フィルター自体が日本人特有のものなのか、それとも私自身固有のものなのか、も定かではありません。

 

そして、次に、この「赤」と「白」のフィルターの差は、埋められないほど深い、という認識に至りました。

この1年間を一言で表すとするならば、昨年の8月から12月までが「困惑」だったとすると、1月から5月は、その違いの深さからくる「絶望」でした。

こんなにも土台とする部分が違うのに、これまでの私はいかに無自覚だったのか、と。そして、この土台が違うのであれば、西欧の経験は、非西欧圏で何も参考にはならないのではないか、と。私の留学の意義にも関わってくる部分であったため、これは大きなショックでした。

 

ただ、今は、この違いを、考える対象として、少しずつ前向きにとらえられるようになってきました。この問題は、考えてみれば、遠藤周作の「沈黙」の大きなテーマでもあります。また、先日、「ヨーロッパの個人主義」という本を借りて読んだのですが、そこでも著者の西尾幹二が日本人の「無自覚さ」として指摘をしていて、この本が出たのが1969年であることを考えると、なぜこの「根本的理解の不在」が何十年も放置されているのか、ということにも興味がわいてきます。

 

ヨーロッパの個人主義―人は自由という思想に耐えられるか (講談社現代新書 176)

ヨーロッパの個人主義―人は自由という思想に耐えられるか (講談社現代新書 176)

 

 

と、だいぶ話がまとまらない感じになってしまってのですが(もともと私の中で全然まとまっていない)、とりあえず今日はこの気付きの存在について述べるにとどめたいと思います。

 

こんなことはこれまで何十年と議論しつくされているはずなのですが、この夏休みを使って、私は私なりに少しずつ言語化していきたい、というのが目標です。

フランスと人種差別(1)- 「人種」というものはない

「人種」(race)というものはないんだそうです。

人間が作り上げた概念であり、生物学的に根拠のあるものではない、という意味においてなのですが、こちら(西欧のみ?フランスだけ?エリート層に限る?)では言葉自体がもはや「悪の権化」のように扱われてすらいる気がします。

ひるがえって日本では、比較的使われる言葉ですし、アメリカの選挙結果をみていても人種ごとの投票結果がでていて、興味深くみていたりするわけです。

 

よって、まさかそもそもの概念自体が「ありえない」だなんて考えてみたこともなかったのですが、こちらでは全く違う捉え方をしているようで、この認識の大きな差は、フランスに来て一番驚いたで賞にノミネートしたいくらいです。

(これって世の中的には常識?)

 

このことを痛感した出来事があります。

とあるクラスでアメリカ人学生が「東欧移民の経済的困窮の原因はracismではないか」と発言した際、クラスに漂った妙な空気と、イタリア人教授の猛烈な反論、を目の当たりにしたとき。

 

EUの「人の移動の自由」に関する授業で、8割の学生がヨーロッパ(西欧)出身、そこに数人のアメリカ人とわたしというクラス構成だったのですが、彼女の発言を受け、

 

教授は「racismという概念を使う人自体がracistだ」と言わんばかりの猛反撃。

 

クラスにも奇妙な雰囲気が漂い、 彼女は大困惑、私は何が何だかわからないけれど、その場の雰囲気にぎょっとしたのでした。

 

(後日、ルクセンブルク出身のクラスメートとその時の話題になったのですが、逆に彼女は教授と同じく、アメリカ人の子がraceという言葉を使ったことにぎょっとしたと言っていました。)

 

その後、こちらでは「race」の概念が意図的に排除されていることを知り、ようやく背景を理解。ただ、この問題は非常に複雑で深い、と日々思います。

 

というのも、現に差別はあるわけです。

 

アメリカの「差別を可視化し、積極的に関わって無くしていこう」というアプローチと、「差別のもととなっている概念自体をなくすことで、差別できなくしてしまおう、という」フランスのアプローチの違いなのですが、

現在のフランスではこの「差別という概念はないという考え」と「差別はある現実」との差が広がってきてしまっている感じがします。

 

(このフランス24の動画(英語)でも非常にわかりやすく説明がされています。)

 

《Population studies: France's 'ethnicity' taboo》

http://www.france24.com/en/20170112-france-population-statistics-demography-race-ethnicity-religion-racism-discrimination-data

 

ちなみに、どちらのアプローチがいいかは、本当に難しいなと思います。フランスのアプローチを批判するのは簡単ですが、日本の問題におきかえてみると、例えば、同和問題に関して、被差別部落の人たちを可視化して積極的に支援を行っていくのか、そもそもどこが被差別部落だったかをみんなが忘れてしまえば差別のしようがない(特にraceと違って見た目上は何もわからない)ので、何もしない、のどちらがいいのか、と考えると、後者の方が望ましい気もするのです。

 

植民地支配は「人道に対する罪」か

スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』を観に行ってきました。

物足りなかった、というのが感想で、遠藤周作の原作に忠実であろうとするあまり、原作の深みが描き切れていないように感じました。

もしくはアメリカ人のスコセッシには理解しきれない部分があったのか、そもそも映像という表現手段の限界か。。監督の並々ならぬ意欲は伝わってきただけに、少し残念でした。

 

映画はフランス人の友達と観に行ったのですが、彼女の感想が

 

「そもそもキリスト教を布教しにいって、

ほかの国の人に押し付けるのが間違っている」

 

というもので、とても興味深いな、と。

世俗化しているとはいえ、かつてバチカンの長女と呼ばれたフランス。

 

話を聞くと、植民地支配(とキリスト教の布教)については学校で徹底的に批判的に学んだ、ということでした。この過去の植民地に関しては、学術的にも、批判的な論調はある種の前提条件になっている、とさえ感じることもあるのですが、

 

ただ、社会全般としては、そうでもない、

 (エリート層と社会一般の感覚は大分違う)

 

ということが浮き彫りになった出来事が、フランスで大きな話題となっています。

 

ことの発端は、大統領候補のエマニュエル・マクロン(右派のフィヨンのスキャンダルで、もはや本命候補)が、訪問先のアルジェリアで、植民地支配を「人道に対する罪」、と表現したことです。

 

これに、保守派と極右が猛反発。最終的には、マクロンが(アルジェリア独立に際して、フランスに帰国した人々に向けて)謝罪をする、という騒動になりました。

植民地支配が国際法上の「人道に対する罪」に当たるかどうか、は専門的な話になるのですが(※)、騒動がここまで大きくなったのは、

 

長年にわたる 

「植民地支配に対する反省」と「植民地支配におけるフランスの功績」

のどちらにどれほどの重きをおくか、という問題が背景にあります。

 

France24でも、植民地支配を反省し「歴史」の一部にすることができたドイツと違い、フランスは、なぜいまだにこの問題で揺れ続けるのか、という報道がなされていました。(ドイツの例が引き合いに出されることや、感情的になってしまう、というあたり、日本の歴史問題、が思い出されます)

 

《Why colonization remains a political football in France》

http://www.france24.com/en/20170217-french-colonisation-still-political-football-emmanuel-macron-france-elections

 

過去には2005年、右派のシラク政権時(保革連立政権解消後の2期目在任中)、学校で「植民地支配の肯定的役割」について必ず教えるべし、という条項が含まれた法律が可決された(反対運動を受け、その部分のみ廃止)こともあったようです。

 

ただ、部分的に謝罪することになったとはいえ、大統領候補の本命からこのような問題が提起されたことは非常に健全なことだと感じました。

 

 

とはいえ、何をもって反省し、乗り越えたと言えるのか、はとても難しい問題だなあ、と感じる今日この頃。

例えば、非西欧諸国から批判のある、「人権」や「民主主義」が新たな「キリスト教」として、西欧の「干渉」という名の「支配」の口実となっている、という指摘は、本質をついているとは思います。そういう意味では本当に反省しているのか、と。

(ただ、じゃあ「人権」や「民主主義」を否定するというわけではなく、それはまた別の話です)

  

*上記の指摘をしている本

ヨーロッパ的普遍主義

ヨーロッパ的普遍主義

 

 

「国際関係における人権」という授業を取っているのですが、

「EUの人権外交」はどうあるべきか、「対外的に民主主義と人権をどう促進していくか」、なんて話を聞いていると、

 

400年前、ポルトガルの神学校に学んだ、『沈黙』のロドリゴのような宣教師たちは、こんな感じだったのかなあ、なんてことを思わずにはいられないのです。

 

目の前のクラスメートたちの姿に、石造りの教会で神父の話を聞いていたであろう宣教師たちの姿が重なってみえるようです。

 

※国際刑事法の教授曰く、植民地支配が「人道に対する罪」とされたことは過去一度だけあるとのこと。ベルギーのレオポルド2世によるコンゴ支配に関して、アイルランドの人権活動家・(イギリスの)外交官であったロジャー・ケースメントが「人道に対する罪」として批判をしたとのこと(ただ根拠となる文献はみつけられず)です。

 

 

遠藤周作「沈黙」- 弱き者はどう生きていけばいいのか

スコセッシ監督の新作を観る前に、遠藤周作の原作を読みました。

ぜひたくさんの人に読んでほしい。

50年前の作品ですが、投げかけられた問いは本質的で、故に非常に現代的です。

 

織り込まれたいくつものテーマの中でも「弱き者はどう生きればいいのか」という問いが特に胸に響きました。

 

小説では、どうしようもなく弱く、ずるいキチジローの姿を通してこのテーマは語られるのですが、

このキチジローが度々口にするのが、心が弱き者はどう信仰を持ったらいいのか(信仰をもちつづけることはかなうのか)、という言葉です。

 

個人的には、キチジローは決して心が弱いわけではない、と思うので、

 

「立場の弱き者は信念を持って生きていくことさえ許されないのか」

 

という、問いとして解釈しました。

 

信念とまで言わずとも、人は誰でも正しいと思うこと、間違っていると思うことを心に持っているものだと思います。価値観、といってもいいかもしれない。

 

自分自身が世の中のルールを作る側にいない時(弱き者であるとき)、自分の価値観をどうもちながら生きていくべきなのか

 

個人レベルでは自分自身の会社や社会、国とのかかわりに関する問いであり、今、勉強をしている国際関係の文脈の中では、いわゆる「弱き国」の人間はその価値観さえ持ち続けることはできないのか、そんな問いとしても読みました。

 

フランスで勉強をする中で

 

「ああ日本は戦争に負けたのだなあ」

 

と感じることが時々あります。

戦後70年以上もたって、何を言っているんだ、と自分でも思うのですが、

授業を通して、戦勝国の側からの世界のあり方に触れるとき、心からしみじみとそう思うのです。

 

ものの捉え方も、思考方法もこうも違うものか、と思うときに、世界のルールをつくる側にならなかった身としては、やはり彼らのルールの中で生きていく必要がある、そう痛感します。

 

この文脈で考えると、作品の中の「踏み絵を踏む」という行為は、「相手の社会のルールや価値観を受け入れる」という行為の象徴になります。

 

踏み絵を踏まなくてはいけない時(他者のルールや価値観の中で生きていかざるをえない時)、これまでの自分の信仰(信念や価値観)というものはどうもち続ければいいのか。

 

ほんとうは、私の感じるこの価値観の違いはささいな、小さな差に過ぎないのかもしれません。

ただ、80年代に生まれ、世界はより均一になり、繋がっていく、先進諸国の同世代とは、同じような価値観で生きていると思って生きてしまった身には、このそもそもの土台の、微妙な、でもおそらくとても根本的な違いは、えらく衝撃的で、

 

だからこそ、この遠藤周作の問いは、とても深く心に響きました。

 

問いの答えはよくわかりません。それに、この問いをどう解釈し、どういう答えをだすかは、読む人にとっても、読むタイミングによっても違ってくると思います。

 

最後に、この作品がより奥深いのは、弱き者は強き者でもある、という部分です。

主人公である宣教師ロドリゴは、強き者でありながら、弱き者でもあります。キチジローも、ロドリゴの心の弱さを映す鏡のような存在として書かれているのですが、同時に、キチジローはとても強い心の持ち主でもあります。

 

遠藤周作は、講演でキチジローは作家自身だ、と述べていますが、

すべての人がキチジローである、ということなのだと思います。

 

*講演は以下のリンクの「没後20年企画[講演]ある小説が出来上がるまでーー『沈黙』から『侍』へ」で読むことができます。

www.shinchosha.co.jp

フランス的な習いごと、ってなんだろう。

パリに来てもうすぐ半年。目下の目標は、同年代の友人をつくることです。

 

勉強しにきたんじゃないのかよ、と自らにツッコミつつも、

働く同年代のパリジェンヌたちが何を考えて、何に悩み生きているのか、知りたい。退職をして日本の外に出たことで、自ら日本社会の「レール」を外れたわけですが、『「30代を目前に感じる社会的なプレッシャー」を感じる自分』から抜けだせない。もはや何からもプレッシャー受けていないのに。。

 

なんでパリに来てまで自らを縛っているのじゃー。

(最大の敵は自分だった、わけです、うん。)

 

と、前置きが長くなりましたが、いずれにせよ、パリジェンヌたちもそういった悩みをもっているのかどうか(同級生たちはみんな優秀で話をしていて楽しくて大好きなのですが、20代前半ということもあり、まだ人生輝いています)知りたい、それにもう少し社会との接点もほしい、ということで、何か習い事をしよう、と思い立ちました。

 

というのも、フランス語がまだ初心者レベルということもあり、何かを一緒にしたりだとか、体験を共有するという方法が、友人をつくる方法としててっとりばやいのではないかと思ったわけです(バーで同年代の人に話しかけてもいいのですが、できればちゃんと話が合う人に出会いたいかなと)。かつ、せっかく何か習うのであれば、フランスだからこそできることを習得したい、その過程でフランスらしさが理解できることがしたい。日本にいる頃は日本舞踊を習っていたのですが、日舞を通して学んだことは多く、特にもののみかたが変わったことがとても大きかった。フランスでもそういうことがしたい、と思ったのですが、

 

はて、

 

フランスの伝統的なものってなんだ?

 

と一瞬にして壁にぶつかりました。

フランスは伝統を愛する国!というイメージが強かったのですが、何か習いごととして、と思うと思い当たるものがありません。よくワイン教室やチーズ教室はあるのですが、、「習得する」ものとは少し違いそうです。あとはフラワーアレンジメントやパン作りでしょうか。だけど、それは日本でもできる気がする。。

 

ということで、フランス人の友人たち5人(20代前半)に尋ねてみました。

 

「何かすごくフランス的なことをやりたい」(現在のフランス語レベルの限界)

 

すると、皆、うーんと考え込み、最初に出た答えが

 

「デモに行けばいいと思う」

 

確かにそれはすごくフランス的ですわ。ぜひやろう。

 

でも、、それは習い事ではない。

はたまた彼らが考えこんで出した答えは、

 

「ぼくたちは色々な文化がまざりあっているから、これといったものはないんだよ」

 

でした。これにはとても考えさせられました。自分の中で落ち着いた説明としては、彼らはすでに伝統的なものを生きている(19世紀の建物に住み、ワインを飲み、チーズを食べ、フランス映画をみている)から、わざわざ別に「伝統的なもの」を習う必要はない、「生活=伝統」ということなのではないか。これは色んな人の意見を聞いてみたのですが、例えば、日本で着付けを習うのは、もはや今着ている服が洋服であって、和服ではないからで、日舞も、いわゆる現代的な踊りではないわけです。でも、彼らにとっては、現代は「伝統」の延長線であるからこそ、わざわざ習うものではない、のではないか。「伝統」に対する概念が違う(のではないか)ということに気が付き、目から鱗でした。

 

ただ、それだと習い事ができないので、なおも食い下がると、スポーツではいくつか案が。

 

「フェンシング」か「フレンチボクシング」

 

ちなみにフレンチボクシングは通常のボクシングと違って足も使うそうです。キックボクシングということですね。ちょっとハードすぎ。。。

 

ということで、最後の案として「ペタンク」。

 

これは日本のゲートボール的存在で、おじいさんたちが公園でやっています。ルールははたからみているとカーリングに近いのかな、と思うのですが、鉛のボール的なものを順番に投げて、中心からの近さを競うような(公園で眺めた結果の推測)スポーツです。

 

確かにこれはフランスでしかできん!しかも簡単そう!

 

でも、よく考えたら、当初の目的は「同年代の友人」をつくることでした。

ペタンクやっているの、おじいさんかおじさんくらいしか見たことがない。

 

無念。。。

 

結局答えはでず、リサーチ継続中です。

バーに入って声をかけたほうが早いか。。